第八課 神のみこころを求めること

Qクリスチャンは、自分の人生に関する神のみこころを知ることが出来ますか。

Aすべてのクリスチャンは、自分の人生に関する神のみこころを知ることに大きな興味を持つべきです。クリスチャンは自分の生活に関する神の御計画を知らないで、それに従わなければ、その生活は無駄になり、天国での報いを失ってしまいます。

聖書は、神がご自分のみこころを知りたい者に確かに教えて下さることを、はっきりと教えているのです(ヨハネ 7:17)。これは、すべてのクリスチャンの標準的な経験であるべき特権です(ローマ 12:2)。

クリスチャンは経済的な導きを捜すにしても、職業を選ぶにしても、どんな時にでも、次の五つの点に留意することをお勧めします。

 
委ねること。神に委ねることは、自分の希望、野心、欲望などをすべて神に委ねることです。神のみこころに心底から従いたい態度なのです。使徒パウロは(キリストを信じる前に「サウロ」と呼ばれた)「主よ、私はどうしたらよいのでしょうか。」と言ったとき、神に委ねました(使徒22:10)。イザヤは、「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」と言ったとき、神に委ねました(イザヤ 6:8)。アマスヤは、みずから進んで主に身をささげたとき、神に委ねました(歴代誌第二 17:16)。

 告白すること。あなたは神のみこころの中心で生活したいならば、自分の隠れた罪を神に告白して、それを捨てなければなりません。詩篇 66:18のことばを覚えてください。「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。」自分の弱さも告白して、神の力に頼らなければなりません(詩篇 139:23-24)。

 祈り。簡単に言えば、クリスチャンはしばしば神の導きを願うべきです。神の導きに関するご自身の約束を請求して、神の約束されたとおりにして下さるように願わなければなりません。クリスチャンの祈りの目標は神の栄光を現わすためであるべきです(コリント第一 10:31、コロサイ 1:9、4:12)。

 学び。クリスチャンは神のみことばである聖書を学ぶため多くの時間を過ごすべきです。ひざますいて聖書を読みながら、神が聖書を通してあなたを導いて下さるように祈ってください。深く考えながら、読んでください。神のすばらしい祝福を期待して、読んでください(詩篇 119:18、129)。

 待つこと。もし神はあなたの祈りのお願いをすぐにお答えにならなくても、神を待ち望んでください(詩篇 62:5-6)。もしあなたが神に祈り、神の導きをお願いしても、神からの答えが来ないなら、そのまま待つことが神のみこころなのです。もしあなたはまことに神を信頼しているなら、心配はありません(詩篇 27:14)。神は以下の方法によってクリスチャンを導いて下さいますが、次の非常に重要な点を覚えてください。

神の導きが、聖書に書いてある神の明確な教えに逆らうことは決してありません

このようなわけで、聖書の教えは一番信頼できる導きなのです。聖書の導きの方法は二つです。最初に、聖書が明確に禁じている活動が色々あります。例えば、もしあるクリスチャンが、イエス・キリストを信じない人と結婚しても良いかどうか知りたいなら、神は聖書のコリント第一 6:14 によってその答えを与えて下さいます。また一方では、神は私たちに、私たちがしなければならないことを教えるためにも、聖書をお使いになります。かつて一度もあなたの注意を引かなかった節が、あなたの現状に当てはまる何かを言うとき、その節が新しい意味を帯びることになるでしょう(詩篇 119:105)。

そして、神はほかのクリスチャン、特に聖書的な教会の牧師の健全な忠告によって、クリスチャンを導いて下さることもあります。若いクリスチャンはその忠告によって大きな間違いを免れるかもしれません(ヘブル13:7、17)。
最後に、もう一つの注意を覚えてください。あることが神のみこころかどうかと考えるとき、事情、気持ち、不思議な経験などに頼らないでください。これらは変わりやすいことですから信頼できないのです。クリスチャンの大敵サタンは偽造者として、宗教によって多くの人々をだましています。サタンは偽神、偽福音、偽キリスト、偽聖書、偽教会などを使って、狡猾に人々を天国の道ではなく、地獄の道を歩ませてしまいます。聖書の戒めを覚えてください。
「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。」(詩篇 119:9-11)

第八課の試験