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God's Story(ゴッド・ストリー)

第十課 救霊伝道

Qクリスチャンはどのようにしてほかの人々を、キリストを信じる信仰にまで導くことが出来るのですか。

A「救霊伝道」、すなわち、人々にイエス・キリストの福音を伝えて、人々がイエスを信じるのを手伝うことは世界中で最高の仕事なのです(箴言 11:30)。この仕事の成功をいつも保証する決定的なルールはありませんが、貴重な結果を与える基本的な原則はあります。

救霊伝道者(人をキリストに導くクリスチャン)の心が霊的に健全であることはとても大切です。いつも聖書によって心を養うべきです。しばしば祈る時間を守るべきです。神に従うべきです。気付いた罪を神に告白して、捨てるべきです。神は、毎日神との交わりの道を歩んでいるクリスチャンに、人々にキリストの福音の証しを有効に伝える機会を与えて下さるのです。救霊伝道者の黄金律は、「神に近寄って、そこでとどまりなさい。」ということです(マタイ 4:19)。


私たちは毎日まず初めに、神が福音に興味を持っている人々に私たちを導いて下さるように祈るべきです。私たちが会うすべての人に福音を伝えることが出来ないのは明白です。そして、私たちが人々に合う時に、だれがキリストを信じる用意が出来ているのか分からないことも明白なのです。しかし、もし私たちは、神が私たちを導いて下さるのを願うなら、私たちはより有効に神に仕えて、人々を獲得できるでしょう。


クリスチャンはイエス・キリストにある救いの証しをするすべての機会を用いるべきです。職場で同僚がまことの神イエス・キリストの御名を汚してしまうとき、それを聞いたクリスチャンにとって、イエスのために証しするすばらしい機会になります。宗教に関する会話が出ることは多いでしょうから、クリスチャンは出来る限りこのような機会を用いるべきです。さらに、クリスチャンは人と話し合うとき、相手が機会を作るまで待つべきではありません。だれでも自由に政治学、スポーツ、天気などについて話すかもしれませんが、クリスチャンは霊的なこと、すなわち、自分の救い主イエス・キリストについて自由に話すべきです。


クリスチャンは出来る限り自分の言葉より神のみことば(聖書)を引用すべきです。生きているみことばです(ヘブル 4:12 )。聖書は私たちの言葉より人の心を変える力を持っています。イエス・キリストを信じているすべてのクリスチャンは、神とサタンとの間の霊的な戦争に入っています。すべてのクリスチャンは、キリストの兵士として、霊的な剣である神のみことば(聖書)の使い方を知らなければなりません。聖書はクリスチャン兵士の最強の武器なのです。キリストをまだ信じていない人々はクリスチャンと話し合いながら、クリスチャンが聖書を使うのをやめさせようとすることが多いかもしれませんが、やめてはいけません。ある人が、「私は聖書を信じない。」と言っても、ますます引用すべきです「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ 10:17 )。


救霊伝道者は自分の知り合いに何度も福音を伝え続けなければなりません。人が初めて福音の話しを聞いて、すぐにキリストを信じることは少ないでしょう。たいてい繰り返し人と話し合う必要があります。親切に話してください。福音をはっきりと説明する印刷物を上げてください。聖書的なバプテスト教会や伝道所に人を連れて出席してください。


とりわけ、人がキリストを信じて救われるために祈らなければなりません。もしあなたが人にイエス・キリストについて話すとき、相手が怒ってくるなら、がっかりしないでください。相手が怒ることは、聖霊である神がその人にその罪を悟らせている兆しでしょう。無関心の態度は怒ることよりも悪いことです。


人に福音を伝えるとき、無理に急いでキリストを信じさせようとしてはいけません。偽告白は無意味なだけではなく、その人をだまして、天国の道を歩いていると思わせてしまうのです。種を蒔く農夫のように、良い種である福音を忠実に蒔いてください。収穫の主である神の責任は、その蒔いた種が人の心の中で実を結び、新しいいのちをお与えになることです。


もしあなたがイエス・キリストを信じている救われたクリスチャンであったとしても、他人にイエスについて話すのは難しいなら、それを神に言い表して、あなたが人々にイエスの福音を伝えるための力と勇気を与えて下さるように祈ってください。もしあなたが心底からそれがほしいならば、神は確かに与えて下さいます。


いつもどこに行っても、福音に関するパンフレットやトラクトを持って行ってください。話し合う人々にパンフレットを上げるだけではなく、あなたの訪ねる公衆の場所に残しておくことも出来ます。


クリスチャンが人々を、キリストを信じる信仰まで導く経験ほどすばらしいことはありません。


大きな喜びです(ルカ 15:10)。


クリスチャンが天国に着くとき、だれかが近寄って来て、「私がここに来られるために福音を教えてくださってありがとうございました。」と言うのを聞くのは、クリスチャンにとって大きな喜びとなるのです。


地上で人々にイエスの福音を忠実に伝えたクリスチャンが天国に着くとき、イエスの、「よくやった。良い忠実なしもべだ。」というおことばを聞くことよりも、さらにすばらしい経験があるでしょうか。

それを考えると、クリスチャンの祈りは、「ああ、神様、私の目から涙が流れるまで、イエス・キリストが群衆をご覧になって、かわいそうに思われたと同じように、私にこの世の人々を見させて下さい」という祈りであるべきです。

第十課の試験